このページは「接種時期選定の参考」ページの補足説明を収めています。
ここは、補足説明の第4ページです。
補足説明の第2ページ では 「新型コロナ」=「人工ウイルス説」 を中心に扱っています。
補足説明の 第3ページ は 第2ページ の補足説明を置いています。
この 第4ページ は 第3ページ の補足説明を置いています。
「新型コロナ」=「人工ウイルス説」にもとづく考察の本流は、「補足説明2の 考察」→ 「補足説明3」→ この「補足説明4」→「補足説明6」となっています。
※6-2-5-1 正義について
「必要悪」とは、ある方向から見れば正しくないこと(悪)だが、別の方向から見れば正しいこと(必要)です。
そもそも正しいこととは何でしょう。物事の正しさは何で決まるのでしょうか。
それを行うことで何かが 長続きする 場合、「何か」は「それ」を正しいと評価しているようです。
「正しさ」の基準は、それによって何かの存続に寄与するかどうかなのです。
「存続する何か」とは「散逸構造 dissipative structure」のことです(が、ここでは知らなくていいことなので説明は省きます)。
では、具体的に説明します。
例1
将棋では、勝負開始後の駒の動かし方にある決まった順序があり、定跡と呼ばれているそうです。囲碁では定石と呼ばれているそうです。
この定跡(や定石)の手順に従うと序盤戦で有利になり、勝ちやすくなるようです。
この場合、「勝つ」=「長く残る」ですから、定跡(定石)に従うことは「正しいこと」となります。
定跡(定石)はどのようにして生まれたのでしょうか。
それは将棋や囲碁の数多くの勝負の中で、悪い手筋(負けることの多い手順)が淘汰されることで生き残ってきたのです。
例2
「子どもを大切にすることは正しい」ということに異論は多くないと思われます。
では、どのようにしてこれは正しいことになったのでしょうか。
ある似たような地域、特に豊かでもなく貧しくもない地域に、仲の悪いふたつの村(甲と乙)があるとします。
ふたつの村は子供を大切にしてきました。
あるとき、乙村は信仰する神様のお告げがあり、子供を大切にするのをやめることにしました。
さて、甲と乙、その後はどうなるでしょうか。
甲は様々な危機を乗り越えて生き残ることでしょう。乙は後継者が育たないので確実に没落していきます。
ある地域に何千もの村があり、同じようなことが起これば、子供を大切にする村は生き残り、そうでない村は消滅していくでしょう。
やがて、その地域ではすべての村が子供を大切にすることになります。
「子供を大切にすることの正しさ」のようなものは、歴史の中で作り出される価値観なのです。
キリスト教の世界では、キリスト教が長く存続することに役立つようなものがキリスト教的な正義になります。
イスラム教の世界では、イスラム教が長く存続することに役立つようなものがイスラム教的な正義になります。
もし、イスラム教の世界で、キリスト教が長く存続することに役立つようなものがイスラム教的な正義になれば、イスラム教はあっという間に消滅していくことでしょう。
地球上の各国においては、おのおのの国が長く存続できるようなことが、各国において正しいことになります。
何が正しいかは国ごとに異なってきます。
地球上のホモサピエンス全体の文明においては、この文明が長く存続できるようなことが正しいことになります。
文明というレベルで正しいことは、もちろん国レベルで正しいこととは異なるでしょう。
文明全体では存続において必要なこと(地球全体の人口大幅削減)は、国レベルでは(日本を含む多くの国では)悪いことなのです。
人口削減計画は(文明存続のための)必要悪ということになります。
文明存続の過程で日本が滅びる、ってことももちろんあるでしょう。
ヒトのような多細胞生物では、「全体である個体」の存続のために「各個の細胞」は犠牲になります。
そうした全体のための各個の犠牲は遺伝的にプログラムされているようです。
癌(悪性新生物)は、そのような全体主義的従属を拒否した細胞群だと言えるでしょう。
多くの癌にとって不幸なことは、癌によって人体そのものが死ぬ時は、癌も道連れになることです。
「個」の存続が「全体」の存続に依存しているとき、「全体」の存続が優先される傾向があります。
通常、癌は摘出されて殺され、人体の方が生き残ります。
「個」と「全体」が対等のときは、「個」が「全体」から離れて存続を追求できるようになります(全体の運命から自由になる)。
子供の出産は母体からの身体的分離独立であり、成長して家を出るときは家庭からの社会的分離独立です。
利用できるエネルギー資源(太陽エネルギー等)は有限なので、地球の文明全体は存続のために人口の管理が必要不可欠です。現在は大幅な人口削減が必要な状態です。これは熱力学的な条件で決まっていることであり、失敗すれば文明が消滅します。
その運命(消滅、またはそれを避けるための大規模な人口削減)の巻き添えから日本が逃れる方法はあるのでしょうか。
半鎖国(地球全体の文明からの分離独立)という方法は多少の延命効果を得られますが、日本以外の環境が大きく悪化していく中で、日本列島だけその影響から逃れるといったことはできないでしょう。
日本の人口削減は、日本が計画して実施すると意思表示し、十分な人口削減を得る具体的な計画を示せば海外からの強制による人口削減を避けることができるかもしれません。
最近、私は、Twitter できれいな風景や花の写真ばかり追いかけています。
※6-2-5-2 人口削減の対象は誰か?
では、人口削減計画があるとして、地球上のどういう人々が削減の対象として選ばれているのかについて考えてみます。
「人種」、これは関係ないでしょう。
肌の色等は遺伝子で決まっており、将来自由に変えることができるようになります。
「貧富」、これも関係ないでしょう。
財産だと思っているもののほとんどは紙くず同然の価値しかありません。
「社会的地位」、これも関係ないでしょう。
政治的地位、学問的名声等、一顧だにされないでしょう。
ではどのような人々が削減の対象として選ばれているのでしょうか?
将来、高度に発達した知能を持つロボットによって仕事を失う人々 が地球規模の人口削減の対象 だと考えられます。
具体的には、職種に関係なく、言われたことを言われたとおりにしか仕事のできない人々。
まさにそういう人々の仕事はロボットがするようになります。
職種は関係ありません。単純労働か頭脳労働かも関係ありません。
では、どうやってそういう人々を選び出すのか?
新しいワクチンなのに、言われるがままに接種するような「考えない人々」を選べばよいのです。
そのワクチンに人口削減につながる仕組みを入れておけばよいだけのことです。
コロナは「ただの風邪」ではありません。
オミクロン株(初期型)の初期症状そのものは多くの人々にとって「ただの風邪」です。
しかし、人工的に造られた新型コロナウイルスは「ただの風邪ウイルス」とは明確に区別して扱うべきでしょう。
そのウイルス以上に人口削減に役立つような仕組みを持っていると考えられるのがコロナ用のワクチンです。
陰謀論では、人口削減後に生き残った人間は支配層から奴隷同然の扱いを受けることになっていますが、私は違うと思っています。奴隷同然の扱いを受けるような人々はロボットに置き換えることができるからです。
「人口削減の対象外」となるのは、ロボットに置き換えられない考え方、働き方をする人々 でしょう。
そういう人々こそが今後何百年、何千年というホモサピエンスによる文明の存続に必要だからです。
人口削減の計画は五十年先や百年先の近未来を見ているわけではありません。
したがって、「ワクチンを打たなければ人口削減から逃れて生き残れる」というような単純な話ではないことに留意する必要があります。
ワクチンなど、選別するフィルターのひとつに過ぎません。
ワクチンを打つ、打たないが問題なのではなく、自分で情報を集め、よく考えて、打つか打たないかを決めているかどうかが重要なのです。
散逸構造についての説明ページ → ▶ ▶ ▶ (補足説明6)
On The Nature of Things『事物の本性について』 (Titus Lucretius Carus ティトゥス・ルクレティウス・カルス)にちなんだ曲に「エントロピー」と付いていたので・・・・・リンクを張っておきます。文明の終焉にふさわしい曲です。
散逸構造の説明にはエントロピーについての説明が必要です。
Max Richter - On The Nature Of Daylight (Entropy)『事物の本性について』